ゴッホ、アルルの寝室

「一枚の絵が語るもの」

「アルルの寝室」を描いたヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(正しくはフィンセント・ファン・ホッホ)この伝道師は最後の3年間、描くことが生きることだった。
 青年期、伝道師として貧困の中で働き生活していたが、1880年画家に転向し、その10年後にこの世を去っている。
 最後の3年間、南フランスで過ごした1888年〜1890年に数多くの傑作を描いているが、彼の芸術の目的は自己の内面に荒れ狂う感情にはけ口を与えることだったと知られている。
 また、彼は芸術家どうしの共同生活を夢見、日本のイメージをアルルの環境に求めながら最後の3年間を活動した。そのとき彼には、日本人画家たちはお互いの作品を交換し合って質素に暮らしているという、そんな強い思い込みが働いたと言われている。
 
 私は先日、東京都美術館で「アルルの寝室」を眺めてきた。アルルの寝室を描いた作品は他にもあり、アムステルダムゴッホ美術館、シカゴのアート・インスティテュートで、このオルセーのものと全部で3作残っている。
  
 「アルルの寝室」はゴッホの夢が実現される直前、ゴーギャンが来るのを楽しみに待つ頃の作画で、ゴッホが最も幸福だった時の様子が込められている。画中には二人のための椅子が二脚、テーブルには二つの水差し、寝台にも枕が二つある。
 ゴッホ自身もこの「アルルの寝室」を最高の作品としている。ゴッホは、これを母親に贈る計画で妹のウィルヘルミナと自画像を画中画にし、この家族の肖像画を盛り込んだ自信作を母親にプレゼントしたかったのだ。

 この作品の歴史は別の意味でも興味深い。1920年代に松方幸次郎が西洋美術を日本に紹介するために買い集めた作品の一つで、松方はパリとロンドンの倉庫に保管しているとき、ロンドンのものは火災で消失、パリのものは第二次世界大戦中に田舎に移され、無事に残った。
 フランスで無事に残った松方コレクションは敗戦後フランス政府に没収されてしまうが、その後のサンフランシスコ平和講和条約で作品返却を求めたことで一部の主要作品以外の作品返還に至っている。その松方コレクションは国立西洋美術館に収蔵されているが、今、フランスの元松方コレクション作品が日本の現松方コレクションのある上野に来ているのだ。
 第二次世界大戦時、かつて同じ倉庫で眠っていた作品が上野で再会を果たせた様で面白いと思う。
 一枚の絵から画家の心情、作品の辿ってきた運命を想像してほしい。