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脱「格差社会」への戦略

脱「格差社会」への戦略

 格差社会の中の教育も書かれていた。
ライフラインとしての教育」(佐藤学)によると、貧しい世帯が厳しい家計の中で、その6割を子どもの将来のための教育費に充てているという記述があった。貧しい家庭にとって教育はライフライン(生命線)としての意味があるという。
 ちょうど、貧しい世帯ほど、生命保険を過剰にかけるのと同様に、貧しい世帯においては、幼少の頃から習い事や勉強のための塾に過剰に通わせることになりがちだという。確かにここの様な田舎でも塾や予備校の受験産業は繁盛していそうだ。
 しかし、子どもへの投資に疲れ切った保護者と幼児の頃は塾に通っていい子だった高校生が目立っている。子どもの力に個人差が際立ってくる小学校高学年から中学にかけての伸び方次第だが、勉強に喰い付いて行けなくなった子どもが先に精神的に疲れるのか、親の言いなりになっていることに気がつき自己表現の一つとして勉強から逃げ、酒、たばこ、窃盗などの社会に反する行動に移ってしまうのか。
 思春期などは親と話をするとムカつくと言って拒否され、親は話すら出来ない場合が多いらしい。自立心の一つに違いないが、親が勉強しなさいと言えば言うほど勉強したくなくなるものかも知れない。実際、高校を辞めていいんだよ、棘の道を頑張って歩いて行きなさいと言われている場合、やめようとした勉強を再開することもあったりする
 しかし、嫌いな勉強の苦痛に耐えきれず、空虚な気持を隠すように大声で笑い、明るく振舞う、そんな高校生たちが痛々しい。
 自分と同じ目に会わずに済むように、子どもがまっとうに生きていけるように、ギリギリまで頑張らせてしまう親が多いのだろう。世間が狭い田舎のほうがその傾向にあるような気がする。