齊藤貴男氏講義録「格差社会とアメリカの戦争メカニズム」

1.私の戦争体験 本文は、「税理士九条の会」発足一周年記念 2007.06.04
斎藤貴男氏講演会の記録と、斎藤氏の著書より豊田がまとめたものである。7ヶ月前のものであり、記述が古くなったところもあるが、読むに値する原稿。

1.私の戦争体験
?私の経歴
早稲田大学、イギリス留学を経て、産経新聞の子会社「日本工業新聞」入社と、森善郎元首相と同じ経歴をたどり、「週刊文春」「プレジデント」など、右派系マスコミ記者を経て、フリージャーナリストになりました。最初は憲法に無関心でした、が、90年代後半の住基ネット、納税者総背番号制度など、超監視社会と戦時を思わせる総動員体制の構築の取材を通じて、「憲法改正」に非常に危機感を感じ、岩波新書の「改憲潮流」を執筆しました。

?戦後の平和幻想
私は、1958年生まれのシラケ世代の、三無主義という世代です。小さいときから戦争は無くて当たり前。たとえば、戦後民主主義とか、一億総中流とか言っていましたが、それは、部落差別だとか、在日コリアン差別だとか、アイヌ差別だとか、障害者差別だとか、沖縄なんか最初から日本国憲法無いのと一緒ですから、そういう人たちの上に乗って、ごまかしながらやってきた平等幻想に過ぎないんじゃないか、ということを最近つくづく感じるのです。ここで考えるべきことは、本当に私たちは、9条を機能させてきた時代があったのだろうか、ということです。

?戦後における加害責任
私は、戦後民主主義の恩恵を最も享受した一人だと思いますが、戦後民主主義は、高度経済成長と表裏一体なわけです。もしかしたら、私が子供のとき幸福だったのは、戦争のおかげではないか、と思うわけです。高度成長は朝鮮の特需景気に始まり、ベトナム戦争ベトナム特需および、朝鮮戦争における日本と同じような立場になった東南アジア諸国への日本製品の輸出、そして何よりもベトナム戦争に基地の提供や武器弾薬の兵站基地として協力した日本に対する見返りとして、アメリカが日本からの対米輸出を一時期無尽蔵に受け入れた、だから高度成長があったのであり、戦後民主主義ができていた、つまり私たちが暮らしていたのは戦争のお陰であって、朝鮮やベトナムの人たちの幸福はあったのかな、とそういうことを考えるようになりました。

?憲法九条を本物にしよう
そのように考えると、自衛隊が直接戦争をすることは無かったけれど、戦争で儲けていたという点では全く一緒だったと思います。しかし、そういう形で経済大国になってしまった以上、朝鮮やベトナムの人たちには申し訳ないけれど、われわれはわれわれで、生きていかなければならないわけです、ここはしかし、今度こそ9条の理念というものを本物にするために行動するべきではないのか。つまり、守ろうというだけではなく、それを今度こそ勝ち取ろう。「守ろう」という防戦ではなく、積極的に打って出る、こういう姿勢が必要だと思います。今のアメリカはこの憲法を嫌がっています。憲法「九条」を改正させたいのです。彼らの考える「自分たちの憲法」とは、「アメリカに服従する憲法」に他なりません。だからこそ、憲法を守るのではなく本物を勝ち取るのだ、と今言いたいのです。

2.戦争と相性のよい格差社会
?格差社会
グローバリゼーションを基調とする構造改革のメニューのうち、格差社会の問題があります。経団連の説明によれば、日本経済低迷の理由は、日本の人件費が高すぎたためだということになります。放漫経営には言及せず、すべてを人件費の問題にすり替え、生産拠点を海外に移転させてきました。今後の「日本的経営」として次の三つの型が理想であるとしています。第一は、長期能力蓄積型。エリート候補で、終身雇用が保証され、社会保障は万全です。第二は、高度専門能力蓄積型。プロ野球選手のように、ある程度の敬意は払うが、三年ないし五年契約を採用し、いつでも雇用契約を終了できるようにします。
第三は、雇用柔軟型。いわゆるパート、派遣、アルバイトの非正規雇用です。安くこき使われ、必要なときに雇い、不要になればいつでも解雇します。今後十年もすればこの柔軟型の比率が大きくなることでしょう。

?日本の格差レベル
現実に日本の格差のレベルというものが、アメリカとどれほどかけ離れているかといえば、人種問題がアメリカほど大きくないにも関わらず、実はほとんど変わらない、という数字があります。OECDが、2000年の段階で調査した相対的貧困率の数字です。相対貧困率というのは、全世帯の平均的な所得、可処分所得の平均値に満たない世帯がどれほどあるかということです。日本の相対的貧困率は13.5%で、アメリカは13.7%、たった0.2%しか変わりません。世の中の仕組みが違いますから、単純な比較はできませんが、客観的な数字です。OECDが調査した先進国17カ国の中で、一位と二位なんです。一億総中流なんていっていた日本が、いつの間にか先進国第二位の貧困大国になっています。怖いのはこれが2000年の段階だということです、今やったらアメリカを抜いているかも知れません。政府が見下す対象が増えれば増えるほど、戦争はしやすくなります、ですから、格差社会と戦争は、きわめて相性が良いわけです。

?生存権違反の雇用形態
格差社会は、職場における正規、非正規労働者の問題に代表されます。非正規雇用は勤労者の33%、フルタイム労働で比較すると正規雇用の6割の賃金といわれています。非正規の労働者は働きたくても働けないのだから、実態はもっと悲惨です。
労働基準法で雇用主には安全配慮義務が課せられ、無茶な労働はさせられない。ただ、これは正規労働者に当てはまるもので、非正規労働者の過労死、過労自殺はひきもきらない。非正規の女性は会社の人事部に雇われていない派遣労働者が多く、セクハラの対象になりやすい、人間としての身分格差といえます。
正規雇用も崩れてきています。「ホワイトカラーエグゼンプション」法制化の動きは中断していますが、「残業なしのただ働き法」です。人件費削減の中で正規雇用者の残業代という権利をなくせば非正規との格差がなくなる、という乱暴な論法です。まさに格差社会の悪用以外の何ものでもありません。こうした考え方は政府が設置している規制改革会議の意見書にはっきり出ています。「最低賃金の引き上げは失業をもたらし、困窮状態になる。女性の雇用を手控えるという副作用もある」労働者の権利など必要ない、最初から権利をなくせば雇ってやる、という脅迫のようなものです。

?学校への競争原理導入。教育格差も拡大
従来は終身雇用、年功序列などで「平等」を教えることもできたが、階層化や、差別化の企業社会が定着し、「学校だけは平等」という考え方も、崩れてきています。4月には全国一斉に小六と中三で学力テストが実施されました。テスト結果を学校ベースで公表し、教員評価制度、学校選択制と連動されることになっています。平均点の高い学校は、保護者の人気も高い。点数によって教員の評価も上下する。これは学校へのあからさまな競争原理の導入です。お手本とされるイギリスの教育システムはどうなったのか、義務教育の解体が進み、教師の焦りを招いて、成績の悪い子供にはテスト当日に学校を休ませて平均点を上げるなどということになっています。差別された子供はこのような先生の下では教育は受けられないと反発し、貧しい移民の子供たちは学校に来なくなり切り捨てられています。
こうした、イギリスの動きがわかっていながら、日本が追随するのはなぜなのか、それは根底に機会均等など葬り去られるべきだという、論理があるからです。

?エリート教育に本腰
2002年に学校指導要領が改訂されて、小中学生の授業時間が三割減らされました。文部科学省は「今までが詰め込みすぎで、落ちこぼれをなくすために全体のハードルを下げた」としているが、本音は違います。ゆとり教育の原案は教育課程審議会が作ったものですが、私は当時の三浦朱門会長に直接会って取材をしました。三浦会長は「平均学力は低いほうがよい。戦後の日本は落ちこぼれの尻を叩いて手間をかけてやってきたお陰でエリートが育たなかった。これからはできんものはできんままで、結構。非才無才はせめて実直な精神だけを養っておけ、それがゆとり教育だ」と言いました。エリート教育をやりたいとはっきり言ったらどうか、と問いかけると「本当のことを言ったら、国民が怒るから回りくどく言っただけ」と言い放った。これが近年あからさまになってきたのが習熟度別教育です。三割戻った部分は発展学習にあて、低学年から「できる子、できない子」にクラス分けをして、限られた予算、人手をできる子に集中的に投入して、格差を身にしみてわからせる、という。あらゆる「改革」に共通するのは恵まれた人がすべてを分捕る市場原理、自己責任原理の導入だが、所詮スタートラインが違うのだから、こんなものは大嘘です。構造改革では、さらに格差が拡大します、小泉、安部首相は再チャレンジというけれど、最初のチャレンジさえ、させてもらえない人に再チャレンジなど、ありえない論理だと思います。

3.憲法アメリカの戦争メカニズム
?改憲手続き法案は「八百長」法案
今、憲法の原則がズタズタになっています。さらに憲法改正法がなされると、公務員や教育者などの憲法運動が禁止されます。「九条の会」事務局長の小森陽一先生など大学教授の運動も禁止されます。最低投票率も規定されていないので、国家百年の計とも言うべき「憲法改正」が有効投票の過半数の賛成で決まってしまいます。テレビコマーシャルの禁止は国民投票直前の二週間だけで、それ以前の有料コマーシャルは自由ですから、視聴者に大規模に改憲を呼びかけるキャンペーンが自由になります。これでは財界に「憲法改正」をカネで買い取られることになります。

?米軍再編法案は自衛隊と米軍とが一体的に戦争をするためのもの
自衛隊が米軍と一体的に戦争をするための、米軍再編法案はとても重大な法案です。
新聞やテレビの報道だけを見ていますと、主に沖縄の普天間基地の全面返還や、グアムへの海兵隊の移転など、その費用のかなりの部分を日本側が負担するのがいやだ、というだけで全体としては基地負担が軽くなるように伝えられている部分があります、しかし、これは名護市辺野古に、より強大な新しい基地が建設されるという、基地強化の話です。
東京周辺にも問題が起きます。横田に空軍、座間に陸軍、横須賀に海軍、この三カ所に米軍基地総司令部が置かれ、ここに日本の自衛隊総司令部が同居することになります。横須賀というのはもともと米軍横須賀基地自衛隊横須賀基地が隣接しています、が、その横須賀基地に今度、通常型空母キティホークに代わって、原子力空母ジョージ・ワシントンが配置されます。首都圏の人口密集地に近接して、核が置かれるという世界にも稀な危険な地域となってしまいます。横田には、府中市にある航空自衛隊の総司令部がやってきて同居します。わざわざ新しく共同運用所という建物を作って、そこに同居させます。自衛隊の基地ではなく、米軍基地の中に陸上自衛隊の部隊の司令部が同居するわけです。
さらに、恐ろしいのはアメリワシントン州から、アメリカ陸軍第一軍団総司令部というのが日本に来て、このキャンプ座間の中に同居します。このアメリカ陸軍第一軍団というのは、地球の半分の面積をカバーする大部隊です。北朝鮮から中国、東南アジア、太平洋地域、インド、中近東、アフリカ、これを全部カバーするのです。いまのイラク戦争でも、アメリカ陸軍が展開している作戦は陸軍第一軍団総司令部が最終的には指揮をとっています。その司令部が日本に来るということは、イラク戦争を日本で進めるということになるのです。

?9条2項「交戦権の放棄」の意味するもの
安部首相は、憲法99条の国務大臣憲法尊重擁護義務を無視し、自民党憲法成立を目指しています。現在は、憲法9条2項の「交戦権の放棄」が自衛隊の歯止めになっています。しかし、自民党の新憲法法案はこれを削除し、9条の2で「自衛軍」としています。
実際、憲法が今どの程度の意味を持っているかというと、9条2項以外はほとんど形骸化しています。例えば格差社会の中で様々な社会保障が切り捨てられています。これでは憲法25条の「健康で文化的な生活を営む権利を国が保障する義務」というものが無いのと全く変わらなくなってきています。社会保障が切り捨てられていくと、多くの問題が家庭に押し付けられていきます。最近やたらと家庭が大事という話がありますが、それが国の側に言われることにどういう意味があるのかというと、つまりは全部家族で引き受けてください、という話です。これまた善し悪しを別にすると、家族がその受け皿になるということは多くの場合家庭の主婦がなる、女性が受け皿になるということは、憲法24条の「両性の平等」の規定にかかってきます。新憲法草案は今のところ24、25条を変えるとは言っていません、が、国民投票法案などによって憲法改正手続きが簡単になっていけば、何度でも変えられるわけですから、近い将来、そちらにも手が入っていく可能性が大いにあります。

?戦争をしたがる理由は、グローバリゼーション
日本が率先して、戦争をしたがる理由は、経済のグローバル化です。
経団連が海外での企業活動が侵害された場合、本国の軍事力で助けて欲しい、と考えています。経済同友会の「平和を創出していく時代」を言う表現には裏があります。彼らの「平和」は、多国籍企業が世界中で好き勝手に振舞う自由です。本国の軍事力による紛争解決が前提の、テロリストを日本の軍隊が殺す「平和」です。場合によっては、侵略も辞さない「憲法改正」が財界の願いです。
日本は不景気だといわれます。確かに日本国内だけを見れば失業者は増え、若者は職に就けず不景気ですが、日本に本社を置く多国籍企業は空前の利益を上げています。国内の高い人件費を嫌って日本国内の工場を潰し、海外の安い人件費の場所に工場を作って製造することで多くの製造業はグローバリゼーションの恩恵に与っています。しかし、安い労働力の国はリスクが高く、いつクーデター、暴動が起きるとも限らない、このカントリーリスク、ポリティカルリスクと呼ばれるものを解決するために軍事力が欲しくなり、これまでアメリカがやってきた「経済発展のためには軍事力の行使も辞さない」という方向を目指すことになるのです。

?北朝鮮、中国はアジテーションの道具
北朝鮮拉致問題や、弾道ミサイル発射などが、日本国民の憎悪と不安を煽って「戦争をする国」に「憲法改正」するための、悪質なアジテーションの道具になっています。中国の動きも同様です。日本が侵略戦争と植民地支配で、アジアの諸国民に多大な犠牲を強いた歴史、加害責任を踏まえて、恒久平和主義を堅持し、アジアと世界の諸国民の信頼を獲得し、「名誉ある地位」を占める外交を旺盛に展開することこそが、日本国憲法の精神です。
マンガ家の石坂啓さんは、アメリカはジャイアンで、日本はスネオだと言っています。これから、憲法を戦争ができるように改悪をして世界で暴力を振るうスネオ(日本)が、世界中で軽蔑と憎悪の対象になることは、間違いありません。

?徴兵制をしかなくても兵隊は集まる
私は、「徴兵制」にはならないかもしれない、と思っています。なぜ、「徴兵制」にならないかというと、世の中の仕組みをアメリカみたいにしてしまえばいいわけです。つまり、アメリカは第二次世界大戦後もずっと戦争をしてきた国ですが、「徴兵制」はベトナム戦争の一時期を除いて行っていません。つまりみんな「志願兵」なわけです。なぜ、戦争に志願するのか、それはアメリカでは貧しい家に生まれたが最後、まして黒人とかマイノリティの立場で生まれたが最後、戦争に行ってできるだけたくさん人を殺して手柄を立てないと、一生浮かび上がることのできない社会だからです。
いまやもう、アメリカでは貧しい人たちが働く先は軍隊しかないようなものです。軍隊が世の中の仕組みに入ってしまい戦争をしないと彼らは食えなくなってしまっているわけです。日本の今の格差社会と呼ばれるものも、このままそのレベルまでいけば、徴兵しなくてもちゃんと兵士は集まる、こういう筋書きなのです。

?アメリカの戦争メカニズム
アメリカでは、在校生の個人情報がアメリカ軍に提供されています。堤未果(つつみみか)さんの著書「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」は、アメリカの現実を鋭く描いています。また、それは日本の将来像と重なります。
憲法が変えられたら、どのような社会になるのか。はっきり認識させられたことがあります。障害者自立支援法が一昨年に成立しました、「障害があるのは自己責任だから、施設への入所の際はカネを払え」これが法律の考え方です。家の中で引きこもりがちな障害者たちが、社会に参画できる喜びを得ることができるのが、共同作業所福祉サービスとしての機能なのに、労働をして工賃をもらっても収入より支払いのほうが多くなるという改悪法です。日本の障害者作業所は企業からの下請け仕事が取れなくなり、仕事がなく困っています。
アメリカはどうなのか、意外な返事が返ってきました。仕事は豊富にあり、洗濯の仕事が多いという。イラク戦争で返り血を浴びる、あるいは米兵自身が血だるまになって本国に帰る、その軍服を障害者が洗濯するのです。このサイクルが確立し、障害者福祉さえもが戦争のメカニズムに組み込まれています。
私は、私たちが「アメリカの戦争メカニズム」の中に組み込まれてしまうことを、最も恐れています。