肥田舜太郎氏講演録

肥田舜太郎氏講演録
広島で自らも被爆しながら、医者として被爆者を支援してきた肥田舜太郎。 91歳
8月24日、盛岡での講演から。



11月の末に、村が、被爆者の診療施設をよその地へ移してくれっていう話になったんです。つまり、村は戦後の普通の生活に帰らなきゃいけない。まず、僕ら、学校の校庭にいるわけで、小学校を開かなければいけない。だから、どっかへ出て行ってくれ。出て行くとこなんかどこにもない。それでまあ苦労しました。わざわざ東京まで行って、厚生大臣に、マッカーサー司令官に交渉をして、広島の被爆者を治療する建物がない。それをどこか、進駐軍の命令で造ってくれと。それを頼んでやっと、山口県にある、古い日本の兵舎をもらって、もう戦争に負けて軍隊はないんですけれど、それを国立病院にして、そこへ患者を運んだんです。
日本の国の役人根性なんて大変なんですよ、届出して歩くの。ましてや戦後でしょ。マッカーサー元帥の広島にいる占領部隊、系統が違うんですよ。こっちの司令官にいくら頼んでも、向こうのことなんか知るか、俺はここの司令官なんだと全然言うこと聞いてくれない。だから、命がけで、殺されるの覚悟の上で、ヤミの船を雇って、瀬戸内海を渡った、そういう苦労までして、その後もずっとそういう患者を診たんです。
山口県っていうのは今でも、被爆者の数が広島と長崎に次いで多い県なんです。あそこから沢山広島へ行って被爆して、それがみんな帰ってきてるわけで、病院開くと、はじめ連れて行った100人だけだったのが、診てくれるお医者が他にないもんだから、広島から来た被爆者診てくれるお医者さんがいるんだと、荷車に乗せて泊りがけで来るんですよ。ガラガラがらがら遠くから。だから、公立病院たちまちいっぱい。玄関からそこいら日陰のところはみんな布団引いて、寝て待ってる。そういう状況で私は約2年ぐらい、そこで被爆者を見ました。診たというよりも死骸を見たというだけで、みんな死ぬんです。死ぬのに二通りあるんです。火傷をして直接やられた人間は死に方がはっきりしている。ところが後から爆心地に入って、僕らの言葉でいう、残っていた放射線を体内に入れた、体内被曝、これは僕達が作った言葉ですが、体内に放射線が入った場合は、発病が30年40年かかって、最終的にはがんになるわけです。発病までの間、当時みんなが言った言葉だけど、ぶらぶら病、この言葉を知っている若いお医者さんは今一人もいません。当時、被爆者を一人でも二人でもみたことがあるなら、広島長崎を中心にぶらぶら病という名前が、これは今国際語になっています。外国の医者でも被爆があった場合、体内被曝は時間が遅れて症状が出ると。それは、ぶらぶら病という形をとると。本人はよくうったえる。だるい。だるくて仕事ができない。医者もみんな自分もだるさというのを経験しているので、それだと思う。だれが考えてもそう思っちゃうわけですよね。ところが、本人がうったえるだるさっていうのは、容易なもんじゃないわけです。診療しますとね、僕がここに座って、こう座るでしょ。するとね、いろいろと話するうちに、先生失礼だけどごめんなさいねって、ここに寝っぱって手を突くんですよ。そのうちにね、先生、だらしないけど申し訳ないって、いすから降りて胡坐をかくわけです。そしたら次に横になっちゃう。座ってられない。そういうだるさっていうのは、医者は誰も経験したことがない。これがぶらぶら病の特徴なんです。
皆さんはぜんぜん知らないけれど、戦後27年間、アメリカの軍隊に占領されて、今のイラクと同じ状態が7年間続いたんです。この間日本には政府がない。あっても名前だけですから。全部、マッカーサーにお墨付きを出して、許可を得なければ何にもできない。そのマッカーサー司令部が、彼が日本に着いて、飛行場に降りて、今日ただいまから、マッカーサー元帥が日本を統治すると宣言したわけです。天皇も日本政府も一切統治権はないという占領宣言をして、それから長いこと以下の条文を言ったんです。マッカーサーのずるいのは、文書が残ってないんです。全部口頭で言ったんです。それを日本の大蔵省からなにから全部役人が訳してメディアに流した。その最後に言ったことがね、みなさん、こんなひどいことを言ったんですよ。広島長崎で原子爆弾の被害を受けた被害者は、経験した被害について、これは全てアメリカ軍の機密であると。軍隊の秘密だから、なん人といえどもしゃべってはいけない。書いてもいけない。一切禁止。違反したものは重罪に処す。まだ覚えてます。その「重罪」という言葉がね、地方に流れるにつれて、「銃殺」になったんです。間違えて。だから、広島長崎の被害者は、しゃべったら殺されるって口をつぐんだわけです。そのうちに被害者のほうがしゃべったらろくなことがないわけです。生命保険だって入れてくれないんだから。しゃべることでの利益なんか何にもない。しゃべったらそのまま、マッカーサーには睨まれるわ、警官は来るわね。それが7年間続いたっていうことを、みなさん誰一人ご存じない。広島長崎ではそういったことが続いたわけです。
それで、マッカーサーは原爆の秘密をソ連に対して隠さなきゃなんない。それをソ連から守るのが自分の任務だと。だから被爆者にはものすごく過酷なことをしたわけです。だから、広島の焼け跡に、ぼろ布まとって寝てた被爆者のところに警官が来るんです。動員された警官が訪ねてきてね、要するにしゃべってるかどうかを確かめに来たんです。僕は自然に患者の味方をしましたよ。だから、当然、権力に歯向うことになります。良心からやっていたって、向こうから見りゃ犯罪なんです。私は真っ先に狙われて、いわゆるアメリカの憲兵というのに追い回されましたよ。マッカーサーの指令方針に従わないから、反米分子だっていうのでね。まあ、そんな思いしながら、ずっと患者の面倒見て、当時私は国立病院の職員になってたんですけれども、山口県でやったって、とても被爆者のことは片付かない。東京へ出て、厚生省にマッカーサーと交渉してもらうよう頼みに行ったんです。人間の命の問題なんだから、もう戦争は終わってるし、原爆知ってるのは向こうなわけで。
戦後一月ぐらいして、日本の大学のお医者さんが来て、いろんな調査をして、今残ってる論文にもすごいのが残ってるんですよ。都築先生が書いた論文なんていうのは、被爆をすると放射線が、体内の骨の中にあるリンという元素にあたって、放射性リンになる。だから、体内にあった普通のリンが放射性を帯びて、自分の体の中から自分の骨を放射して傷つけるということを、彼はもう一ヶ月ぐらいで書いているわけです。そういう優れた業績をアメリカは全部没収しちゃって、一切研究を続けてはならんという。それで日本の大学では一切何にもしなくなっちゃった。だから、唯一の被爆国で一番研究しなくちゃなんないはずの医者も学者も何にもしてこなかったわけです。
で、マッカーサーが帰ったのが昭和27年、丁度7年目に、サンフランシスコ条約で、日本は仮の独立をしたわけです。しかし、米兵は残ったままで、すぐ安保条約結んでね、アメリカの言うなりという体制を作られた。だから、被爆者の問題、もちろん7年間何もしてなかったわけですが、日本政府になってからもね、昭和31年まで、4年間、厚生省は何もしない。この間に、11年間、被爆者は一番沢山死んだんです。そりゃ、誰も面倒見てくれないんですから、当時の日本人は、自分が生きていくのがやっとで、食べるものもみんな配給でしょ。だから、こんなことが世の中にあっていいものなのかと思うことがいっぱいあります。
私は、飢え死にする被爆者を沢山見ました。16歳ぐらいの女の子がね被爆をして、家族全部死んじゃうわけです。で、広島には焼け跡以外何もないわけです。頼って行くとこがないから、辛うじて自分のおじさんが仙台のほうにいるっていうことを聞き覚えで知っていて、お腹を空かしたまま彼女は、汽車のただ乗りをしながら仙台へ行くんです。仙台の郊外の農家のおじさんのうちっていうのにやっとたどり着くんです。それが、翌年の2月頃です。たどり着くと、向こうはお勤め人なんです。全部配給手帳でご飯食べてる。ようやく来たって食べさせるもんがない。翌日役場に行って、一人来ましたから手帳下さいって。どっから来ましたか?広島から。本籍はどこですか?役場ですから聞きますよね。本人がうろ覚えで答えますが、気の毒ですけど広島長崎の方は日本政府がお世話をすることはできない、全部進駐軍のほうでお世話をすることになっているのでお帰り下さいっていうことで、配給手帳もらえないんです。その家はヤミ市で食わせるよりしょうがないわけです。そのうち、もうお荷物だから、どっかの後妻に嫁に行ったんですね。16歳の女の子は、被爆したぼろぼろの体で、身体壮健な農家へ後妻へいくわけです。向こうは労働力が来たと思うからめいいっぱい働かせる。絶えられない。そのうちに倒れる。こんなの嫁にしておいてもどうしようもないと、家を出される。出されると本人は妊娠をしている。その体で、あの戦後の恐ろしい世の中で、落ち行く先は決まってます。そうなった人が沢山いるわけです。それをずっと私は面倒見てきました。まあ、みんなもう年をとって、そのころのことを言わないけれど、そういう苦しさをみんな味わってる。
だから、被爆者の大部分は、一番の敵は誰かと聞かれたらアメリカだという。その次は誰か、日本政府だ。今、地震が来ても火事がきても、みんなあんなに面倒見てるじゃないか。7年も10年もなんでほっといたんだという、もう一つ、社会、日本国民に対する不信感。誰も助けてくれない、これがね、そういっちゃ悪いけど、被爆者の心の中にみんな持ってる。でも言いませんよ、今は。言わないけれど持ってる。だから、原爆の被爆者というのは、普通の災害の被害者とは違うんです。人工的にやられた、人間に苦しめられた人。人権を追われた人。戦争終わったから普通に生きていけばいいのに、名乗ることすらできない。就職もできない。結婚にも差し支える。そういう中で、一世二世が苦しみぬいて生きてきました。そういう人たちをどうやって援助をするのがいいのか。お金をくれたり物をくれたりするのは援助にならないんです。そうではなくて、心を閉ざしてしまった被爆者に勇気を持たして、あなたは自分が好き好んでそんな目にあったんじゃない、アメリカにやられたんだ。自分は悪くないって社会に対して開き直れるようにならなければ、あなた方は一人前の人間じゃないんだ。そんな人間を助けてくれるとか、政府をあてにするとか、国民はそんな人間のお手伝いするほど暇じゃないんだよ。みんないっぱいなんだから、命を懸けて開き直るんだ。アメリカが憎い。こんな悪いことしたやつは他にいない。核兵器はなくすべきだって、あなたは言うべきなんだと。それが、被爆者に対する一番の筋の通った援助なんだ。私はそれを50年間ずっと言い続けてきました。だから、今でも、日本の全国の被爆者は、私を知ってるかぎり、私を親父だと思い、兄だと思い、頼りにしてくれてるんです。やっぱり、戦っていくには難しい世の中です。特に被爆者のようなハンディを背負った人間が、一人で戦うわけにはいかない。そういう意味で被爆者を支援する人、一緒に戦う人を求めてるんです。
ところが、戦ってる原水禁とかいろいろの団体とかは、被爆の実情をほとんど知らないで、政治的に、これは悪い、これをなくそうといった運動になっているんですが、被爆者の苦しみを、もっと人間の立場から取り上げてほしい。これは日本人だけの問題じゃない、劣化ウラン弾にやられてしまったアメリカの兵隊、あるいはアメリカの原発放射線で知らずに被曝をした2百数十万人のアメリカ国内の被曝者の問題でもあるわけです。アメリカ国内では放射線の被害者として扱われず、全部ノイローゼと診断されます。放射線は害を与えない、爆発したとしても、原発から漏れる、そんなもの全く無害だ、で始末されます。
日本の原発もそれを受けて、周りに沢山のがん患者を毎日のように作りながら、自分達は無害だと思ってるんです。だから、事故が起きると翌日の新聞には、人体には影響がないと出る。誰が判断するんですか。30年40年経たなければ、被害は出てこないんです。それなのに、翌日には何にも知らない所長さんが人体には影響ないという。それでどんどんどんどん被害者を増やしている。
日本でも、乳がんの患者は、1945年から、95年の50年間に6.7倍に増えています。普通はこんなに増えたりなんかしませんよ。日本全国の、50数機の原子力施設から出る放射線を知らずに体内に取り込んで発病しても、30年40年後のことですから、因果関係の調べようがないわけです。アメリカもそうです。英国でもそうです。そういうことが最近明らかになってきて、初めて、アメリカがこれまで言ってきた放射線被害の評価は嘘である。本当はほんの微量でも、体内に入れば危ないんだということが、やっとここに来てはっきりしてきた。
皆さんもご承知のように、日本の75歳80歳の被爆者300人が初めて、お上に楯突くのは何事だと親戚やらなにやらに散々言われながら、政府を相手に裁判を起こしました。自分の体をこんなにしたのは、原子爆弾放射線だ。それを政府が認めないのはおかしい。認めなさいという裁判を起こしました。今のところ全部勝ってます。裁判官という、原爆については知らない人間が、証言に立った被爆者の訴えをちゃんと受け止め、直爆は受けてないけれども、この人の症状は放射線の影響だと見るのが筋じゃないかという判決を下して、被告の厚生省は全部負けてるわけです。ところが厚生省は絶対に認めない。なぜか。後ろにアメリカがいるからです。アメリカはこれを認めたら、立つ瀬がない。自分の国内に国民の被曝者いっぱい持ってるんです。その人達には放射線と関係ないと言い続けてきたわけです。それが、日本の被爆者が似たような状態で、空から降ってきた死の灰を浴びたとか、そういうので30年後に起こった白血病、50年後に起こったがんが放射線の影響だと判決される。もしアメリカで公の機関が認めたらもう世界が変わりますよ。英国あたりはもうぼつぼつ結論が出掛かってる。だから、今までアメリカが主張してきた、核兵器には危険がない、爆発して直爆を受けなければ全然心配ない、きれいな爆弾を造ってるんだというのが、全部嘘だとわかりますから、アメリカは日本の被爆者だけは、それを認めてはならないと後ろでがんばっているわけです。そういう裁判を、こっちはやってしまったわけですが、戦ったおかげで、今まで一言も書いたことがなかった一般紙が、朝日も読売も毎日も体内被曝というのをはっきり書くようになった。被害者が今こんなにいると書いてくれたんで、ピカと直接やられなくとも危ないんだということを、日本中でたくさんの人が知ってくれた。そういう大きな成果があります。
で、そろそろ結論にしますけれど、相手は核兵器を造って儲けてる国ですから、アメリカの良心に訴えて、核兵器をなくそうというのは大変なことなんです。アメリカの経済というのは、みなさんご承知の通り、明日ひっくり返るかもわかんない。世界で一番大きな産業だった自動車が、日本のトヨタに抜かれて、にっちもさっちもいかない。テレビを作っても自動車を作っても、もうアメリカ経済は成り立たないわけです。だから、彼らは新しい戦争に向かう準備をして、それには日本の9条が邪魔なわけだ。もっとおおっぴらに核兵器を使うために、9条を改変しろと圧力をかけてくる。今、アメリカの産業の中で一番大事な産業は何か。それは、核兵器を作る産業なんです。どうして大事かっていうと、アメリカの第一級クラスの全ての資本が株を買って、その資本を持っているわけです。だから、この会社が赤字になって兵器工場の株が下がると、アメリカ全部の株が下がるわけです。だから、この株だけは下げられない。で、ここを下げないためには、必要であろうとあるまいと、原爆を作り続けるしかないわけです。だから、今アメリカは1万2千発持ってます。そんなに要らないんですよ。世界中の人間殺すには30発もあればいいんです。持ってる必要ないんです。なんで沢山造ったかっていえば、作らなきゃ、会社が破産するからです。赤字になることがわかってて、税金であの会社を支えている。ところが周りの産業が全部だめになってきたんで、ピンチになってきてるんで、だからアメリカは経済的にもやっていけるかどうかの境目に来ている。このとばっちりを受けて日本も同じ状況です。アメリカは世界で一番借金をしてる国です。その借金の大部分を持ってるのは日本です。英国もフランスも危ないアメリカ国債を買わない。日本だけは後生大事に、63年間ずっと買ってきた。アメリカが潰れたら、日本も一緒に破産です。
日本の総理大臣は、大臣になった時にアメリカに呼ばれるんです。で、前の大臣はこんなことをしたと。今度はお前はこんだけのことをしろって、命令をもらうんです。代々話しをしてきたというのは嘘なんです。でも、腹の中じゃ、大変なことを飲まされたって悔しくてしょうがないわけで、中で2人、その時ははいと言って帰る時に飛行場で新聞記者にチラッと言ったのがいるんです。一人は社会党から出た鈴木ナニガシ。彼は、日本にも国会というところがあって国民に計らなくちゃならない。あんまり無理を言うようだったら国債の一部を売ると言ったら、帰ったらすぐにクビになった。その次は、この間死んだ岡山から出た総理。彼も散々言われて頭に来て、帰りの飛行場で、国債の一部を売ってもよいと思うと言ったんです。帰ったらすぐまたクビですね。そういうふうに、アメリカに抵抗するには国債を売るって一言言えばいいんです。派兵を半分にするって。それからあれこれあれこれ要求するなと言えばいいんです。相手の急所を握っているわけなんだから。言ったら自分が殺されるから言わないんです。私たち日本国民が全部、もうアメリカの小間使いになって63年になった。もう結構だ。ソ連に攻められそうになった時は助けてくれたかもしらん。今は日本に攻めてくるなんていうのは、わあわあ言ってる北朝鮮、たった3百万人の国が1億2千万の国を占領して、どうやってそれを維持しますか。そんなことは夢にもありえない。それを北朝鮮が危ないと騒いでおいて、何も知らない国民は武器を持たないと危ないと、丸腰では危ないってんで、憲法の9条をやめようっていうところに走らせるようにやってきたわけです。
そういう中で今アジアの国々は、日本はいっぺん筋を通して俺たちに謝って俺たちの仲間に帰って来いって、みんな言ってるわけです。そして、アメリカなんかに頼らないで、アジアはアジアでまとまっていこうじゃないかと。中国もそういうふうに言う。それを、日本だけがNOと言ってね、アメリカに走るという。
今日本政府になんとかしてくださいなんていう要求を突きつけたって、そんなものに答えられる腰のある政府じゃない。やはり、アメリカの指図を受けないで日本の国の政府として働いてくださいという運動にしなければ、この運動を何年やっていっても、何回政府を変えたって、アメリカが軍隊もって居座っているかぎりは、同じことなんです、結局。世界の国々はみんな経験してきたことです。ですから、この期に及んだら、早いとこ決断すべきです。
こんなこと言っちゃまずいんじゃないかとか、それはね、失うことがある時に言うことなんだ。もう、日本の国は失うものがありません。まあ、百何十兆円というみなさんの貯金があると思うかもしれませんが、これはアメリカにとっくの昔に担保に入れちゃってます。今では赤ん坊まで借金の割り当てがあって、その借金をパーにするために、あの貯金を担保にしてるんです。よその国だったら貯蓄持ってないから、こんなことやられりゃ国はつぶれますよ。日本は貯蓄があるから、最後はあれを担保にして、政府は生き延びているわけです。その時はみなさんの貯金通帳は0になる。戦後、みなさん覚えがあるでしょう、500円生活、新円封鎖。何万円貯金があっても使えなかった。あれと同じことを今企んでいるんです。
日本の生きていく道は他にないんです。それはアメリカさんに帰ってもらうことです。一時に全てを帰せるわけではありませんが、これは条約で決まっているんです。どっちかが提案したら、一年以内に、討議を始めてそういう方向に傾けるという条約があるんです。安保条約。それを世界に発表して、こういうわけで帰っていただくことにいたします。我々はアメリカと敵対関係にはなりません。経済的にはどこまでもお友達として仲良く暮らします。商売はさせていただきます。だけども軍備だけは結構です。私たちは私たちで自分の国を守っていきます。丸腰になるのが、一番良い守り方なんです。丸腰の国を責める国なんてのはどこもありません。
よく北朝鮮が攻めて来たらどうするんだと聞かれて、その都度私は言うんです。攻めてこないような枠組みを、今世界中でやっている。日本政府もその中に入って一生懸命やっている。アジアにも核のない社会、アジアでは戦争しないという約束をやればいい。それでも攻めて来た時にどうするか。降参すればいい。武器を持ってきたら、ごめんなさいと降参すればいい。たった3百万人の国が1億2千万の国を殺せますか。こっちが殺される前に、向こうが飢え死にしてしまう。だから、北朝鮮は怖くも何ともない。謝っちゃ恥だと思ってるからいけないんで、謝ってもいい、それが一番国を守る道なんだって、私は言うんです。そういう、開き直った、腰を据えた心で、日本の国の平和を守る運動に、これからどうやってしていくか。口先だけで、自分の今を変えないで、体裁のいいことを何とかやってれば済むというのでは、明日から続きません。そう思うから、こんな遠くまで来て、こういうお話がしたくてきたわけです。私の言ったことのどこかが参考になるようでしたら、みなさんで一生懸命これから論議をなさって、今まで何にも運動しなかった人たちを、どうやって町の中に引っ張り出すか、これが大事なことです。75歳以上は早く死んでくれみたいな法律を作る、そういう恥ずかしい国はやめさしたほうがいいんだ。そう思って、皆さんを信頼しています。終わります。