「戦争いらぬ やれぬ世へ むのたけじ語る1」

 この本が20日に発売される。
 一貫して民主主義に基づく活動をしている武野武治、1915年秋田県生まれ。
 45年敗戦の日に「新聞の戦争責任を問い、新しい時代の新しい新聞の出現のために道をあけよう」と朝日新聞社を退社。中京新聞の創刊にかかわった後、48年帰郷。週刊新聞「たいまつ」を創刊。52年「平和の戦列」を結成。73年訪中(日本文化界訪華団副団長)
 教育改革の名目で作られた「教育再生会議」。しかし「教育とは無関係のもの」と断言している。
 

 人類共通の理解で教育とはこういうものだ、というものが日本人の中では十分に理解がなされていない。おそらく教育の専門家も、ここを分かっていないでしょう。
 今、日本で行われているのは、教育とは違うものです。幼稚園に入る時から競争させて優劣を争わせ、順番をつけて篩いにかける。保育園から大学院まで、就職予備校だものな。
 教育とは何か。(中略)語源はラテン語のエデュカシオ(educatio)。「引き出す」という意味です。何でも大人が一つの事実をつくって子どもをはめ込むものとは違うのよ。
 命に対する徹底した尊敬だな。(中略)子どもが3人いれば3通り、(中略)優劣をつけずにそのものとして扱う。これが教育です。
 では誰がそれをするのか。
 人類の古くからの慣わしでは寝食は家族単位でやることです。だけどもそれ以外の社会生活は、すべての子どもをすべての大人が守るんです。これは自治体なんです。
 (中略)
 農耕が始まる以前の人類は、毎日居所を変えていました。食料を絶やさないと同時に、肉食獣に襲われないためにです。「いかに食うか」と同時に「いかにして食われないか」。この課題に立ち向かうために家族同士が寄り集まって、小さなグループができた。
 (中略)社会全体からすればこれは一つのコミュニティなんです。そこではすべての大人がすべての子どもを守るというのでなければダメ。すべての子どもを守って伸ばすことに、すべての大人が責任を持ってがんばる。これが教育の原則、本質。そうでなければ教育とはいえないのよ。

 (中略)
 300万人の日本人が死に、中国、アジアの200万人を殺し、それでも自分は生き残った。この喜びですね。俺は生き残った……と。
 そうなってみれば戦争中に天皇の軍隊は負け知らず、いざとなれば神風が吹くと言われてきたけれど、嘘っぱちだったと。あてにならないものを信じてきて、なんて馬鹿だったんだろうかと。
 そしてお互いを見た。名前は分からなくても、みんな、生き残りを見た思いで仲間同士をものすごく大事にした。
 これは一番大切なことです。命を尊び、あてにならないものを頼らない。仲間同士協力し合う。そこに立ち返れば未来はあります。
 (中略)妙なことをやっている人は自分の生活を粗末にしている。自分を見失っている。
 (中略)
 英雄や救世主、神様、誰か特別の少人数の人間によって人類が救われるということはない。自分を救えるものは自分しかいない。一人ひとり、名もない我々こそが、世の中の本当の主人公なんだという実感を持たなくちゃダメですね。  (つづく)