消えた旧石器・縄文時代

 小学校の社会科教科書から旧石器時代縄文時代の記述が大幅に削除されるようになったのは、1989年学習指導要領のもとで編集された教科書からです。
 そのときの指導要領には「神話・伝承については、古事記日本書紀風土記などの中から適切なものを取り上げること」「我が国の国旗と国家の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てる」と記されています。

 記紀の神話と考古学による歴史は対立しています。
 一代目の神武は石器時代です。神話を教科書に載せるには考古学が邪魔なんですね。
「神武の頃は石器時代かー」こんなふうに言わせないために考古学を締め出すんですね。
 このように小学校の社会科教科書から旧石器・縄文時代を締め出す意図は、天皇を中心に日本の国土が統一されたとの考えを押し付け、日本の歴史を天皇中心い描くという戦前の皇国史観への傾斜そのもの。

 日本考古学協会社会科教科書問題検討小委員会では教科書の中身だけでなく、その背景をも検証するという。

学習指導要領の改訂に対する声明
 1989年以来の学習指導要領の改訂にともない、小学校第6学年の歴史学習は「指導内容の厳選を図る観点から、歴史上の代表的な事象にとどめて学習するようにし、網羅的な学習にならないようにした。」に従い、「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による国土の統一の様子が分かること」と、その内容を弥生時代から取り扱うことに改められた。この改訂によって、現行の教科書の本文から旧石器・縄文時代の記述が削除されたが、日本列島における人類史のはじまりを削除し、その歴史を途中から教えるという不自然な教育は、歴史を系統的・総合的に学ぶことを妨げ、子ども達の歴史認識を不十分なものにするおそれがある。

 考古学は、祖先の生きた証となる物質資料をもとに歴史を復元する学問である。列島全域に普遍的に存在する考古資料は、文字などの記録では知ることのできない人々の生活や地域の豊かな歴史と文化をいきいきと物語るものであり、その成り立ちを理解するうえで欠くことのできない貴重な資料である。また、掘り出された遺跡・遺物に触れる感動は、子ども達に自国の歴史や各地域の身近なふるさとの歴史を学ぶという知的好奇心を刺激し、祖先に対する畏敬の念や生きる力と知恵、そして、生命の尊厳等を学ぶ教材として重要な意味を持っている。

 現行の歴史教科書から内容が削除された旧石器・縄文時代の歴史は、世界やアジアのなかにおける日本列島の地域性と、南北に連なる列島内部において複雑で多様な自然環境とその恵みのなかで育まれた極めて特徴的な地域文化を生み出したのである。それは、列島文化の基底をなすものでもあり、弥生時代に農耕を始めたことの意味を正しく理解するためには、この先行する原始時代における社会のしくみや生活の様子を明らかにしておく必要がある。また、日本列島は、一律に稲作社会へと移り変わったわけではない。“稲作から国土の統一へ”で始まる歴史教科書は、本州の弥生文化とは異なり、稲作が行われずに、それぞれ「続縄文文化」と「後期貝塚文化」と呼ばれる独自の文化を発展させた東北北部から北海道、そして、沖縄を含む南西諸島地域の歴史を無視したものであることも危惧される。

 日本考古学協会は、歴史教育に考古学の成果が適切に活用されるよう望むとともに、次回の学習指導要領改訂にむけて、文部科学省と関連審議会に対し、小学校第6学年の歴史学習の内容に旧石器・縄文時代も取り扱うように改め、教科書の本文中に両時代の記述を復活させることを強く求めるものである。