警鐘する一般紙

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007050202013142.html

【社説】
憲法60年に考える(中) 統治の道具ではなく
2007年5月2日

 安倍晋三首相らの改憲論には、憲法を統治の道具に変える発想があります。九条論議に目を奪われていると、公権力を縛る本来の理念を見失いがちです。

 安倍首相は今年の年頭会見で任期中の憲法改定を宣言し、今度の参院選の争点にすると言いだしました。世論調査では改憲賛成が多く、若者もかなり支持しています。

 国際協調主義の理念をうたった前文、戦争と軍備の放棄を定めた第九条と既成事実との隔たりに、戦後世代の多くはしらけ、憲法を“嘘(うそ)”と感じるのではないでしょうか。

 理念と冷厳な現実との乖離(かいり)が、一般論として改憲を容認させる傾向がみえるようです。

透けて見える国家像
 しかし、改憲論議の対象は第九条だけではありません。多くの人がそこをつい見落としがちです。

 早く憲法を変えたい首相の思いはさまざまな形で伝わってきますが、新たな憲法像が具体的に本人の口から語られることはありません。

 それでも安倍カラーを出そうと次々繰り出す首相指示、政策、法案などから憲法観や国家像が透けて見えます。国民を支配し統治する道具としての憲法であり、正義や真理を所与のものとして国民に教え、ときには押しつける国家、社会です。

 それはまさに首相が言う「戦後レジームからの脱却」であり、公権力と国民との関係の大転換です。国家の役割の転換は、著書「美しい国へ」でも随所で主張されます。

 近代憲法は、政府・公権力ができることを制限し、好き勝手にさせないために生まれました。それを細部にわたって調整するのが法であり、立憲主義、法の支配とはそうした政治、統治のあり方をいいます。

 「憲法を設ける趣旨は君権(公権力)を制限し、臣民(国民)の権利を保全することである」−明治憲法制定の際、枢密院議長だった伊藤博文がこう話しました。

内面に踏み込む権力
 実際にできた明治憲法は、天皇が主権を握り、国民の権利は「法律の範囲内で」しか認めない統治の道具となりましたが、最高の権力主義者といわれた伊藤でさえ憲法の理念は正確に理解していたのです。

 新教育基本法に盛り込まれた愛国心育成、教育に対する国家の関与強化、道徳の教科化…権力が個人の内面まで踏み込んでもいいとする姿勢が、安倍内閣になってからますます鮮明になってきました。

 改憲は統治の基本ルールにそれを反映させることになるでしょう。公権力が国民に対して優位に立ち、思い通りに統治する道具に憲法を変えようとする発想です。

 それは戦後日本の復興と発展を支えてきた“粒あん社会”を否定することも意味します。

 敗戦後の日本人は、正義や真理を自明のものとは考えず、互いに主張し、反論し、対立し合う自由と活力を原動力として豊かな国をつくり上げました。一粒一粒が個性を発揮しながらも全体としてハーモニーを醸し出す粒あんのような社会が、復興、発展の基盤となったのです。

 現行憲法は、一人ひとりが個性的に振る舞いながらも調和することを制度的に保障してきました。

 憲法を統治の道具とし、教育勅語を核とする教育で国民の個性を封じて、あたかも練りあんのように一色に染め上げようとした戦前、戦中の日本は、これと対照的でした。

 この六十余年間、一人として軍事力で殺したことも殺されたこともない実績を、政府の行動を制約している憲法の性格と第九条の効果として尊重するか、憲法を現実と合致させて「戦争のできる国」になるか。日本は岐路に立っています。

 その九条を変え、憲法の位置づけも逆転させると、公権力に対する国民によるブレーキの利きは悪くなります。かつてブレーキのないクルマに何十万、何百万の若者が乗せられて戦場に送り出されたことに思いをはせながら「美しい国へ」を再読すると、これまでとは違った理解になるかもしれません。

 安倍首相には、改憲を策して果たせなかった祖父、岸信介への思い入れがあります。本音を抑えソフト路線で出発したのに支持率が低下したことから、最近は「それなら思う通りに」という、いわゆる開き直りも感じられます。ですから、国民投票法が成立すれば、小休止中の改憲論議も活発化するとみられます。

 去る三月に亡くなった作家の城山三郎さんは「敗戦で得たものは憲法だけだ」が口癖でした。「だけ」とは大事な財産であることを訴えるための強調表現でしょう。

生き残った者の実感
 城山さんの口癖は、特攻隊員として死の淵(ふち)に臨み生き残った者の実感です。戦陣の厳しさや悲惨さも知らず、戦火に追われて逃げ回った経験もなく、恵まれた環境、豊かな家庭で育った政治家たちの威勢のよい改憲論とは対極にあります。

 支配され、死を迫られた側の憲法観と、統治、支配する側の憲法観、国民は選択を迫られます。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007050302013397.html

【社説】
憲法60年に考える(下) 直視セヨ 偽ルナカレ
2007年5月3日

 昭和前半の歴史をふり返るとき心に屈託が生まれてしまいます。「直視セヨ ミズカラヲ偽ルナカレ」。そんな気構えで史実をたどり、思うことがしばしばです。

 第二次大戦に学徒出陣した吉田満氏の手記「戦艦大和ノ最期」を読み直してみました。

 文部科学省の二〇〇六年度の教科書検定で、高校用日本史教科書から沖縄戦での集団自決が軍の強制だった旨の記述が一斉に消えてしまうという衝撃の“事件”があったからです。沖縄戦とは何だったのか。

 歴史への責任がある
 「日米最後の戦闘」とも呼ばれた沖縄戦は、一九四五年三月二十六日の米軍の慶良間諸島上陸から六月二十三日の事実上の戦闘終結までの三カ月の戦いでした。

 惨たる戦闘の最たるものは、日本人の戦死者十八万八千百人のうち沖縄一般県民の死者が九万四千人にものぼったことでした。

 戦艦大和の出撃は、米軍が沖縄本島に上陸し「鉄の暴風」攻撃にさらされていた四月六日でした。

 戦記には、稚拙で無思慮極まりない作戦に伊藤整一・司令長官はじめ各艦艦長がこぞって抵抗したこと、連合艦隊参謀長が「一億玉砕ニ先ガケテ立派ニ死ンデモライタシ」と真の作戦目的を明かすことでやむなく作戦が承諾されたことなどが記されています。

 生還を期しがたい特攻作戦だったことは暗黙の了解でしたが、三千五百の乗組員が従容として死についたわけではありません。

 「国のため君のために死ぬことで十分」とする兵学校出身者と「死をもっと普遍的な価値に」と煩悶(はんもん)する学徒出身士官との激論があったことは印象的です。

 ついに鉄拳乱闘の修羅場ともなった論戦を収拾したのは臼淵磐大尉の「敗レテ目覚メル 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望」の持論だったことが回想されています。

 歳月の流れにも時間差
 「直視セヨ ミズカラヲ偽ルナカレ」は、必死を目前にしての吉田氏(当時少尉)の覚悟の言葉ですが、あらゆる時代、あらゆる局面にあてはまる金言です。集団自決も直視されなければなりません。

 集団自決住民は沖縄各地で六、七百人とされ、軍によって配られた手榴弾(しゅりゅうだん)を爆発させたり、肉親親族がカマやカミソリで殺し合う悲惨さでした。この惨劇を軍の強制とする判断を避ける文科省の検定こそ歴史を偽るものといえるでしょう。

 一億玉砕が叫ばれ、戦艦大和の出撃もそのための捨て石でした。県民を戦火に巻き込む持久戦が選択され沖縄は投降の許されない「軍官民共生共死」のなかでした。

 軍の強制をめぐる多くの証言記録や生き証人も存在します。沖縄では今、諦観(ていかん)に似た憤りが急速に広がっているといわれます。「また本土に騙(だま)されるのか」と。

 戦後憲法は前文の通り、再び戦争の惨禍が起こることがないようにとの決意でした。戦没者三百万人、その平和主義には中国や韓国などアジア諸国へ侵略と植民地支配に対する謝罪の意味が込められています。

 しかし、加害と被害の間には歳月の流れにも大きな違いがあります。戦前の歴史を忘れたかのような憲法改定の動きと従軍慰安婦問題の再燃や戦後補償訴訟提起は象徴的です。

 最高裁は最近になって、日中共同声明(七二年)は個人に対する戦後賠償は放棄したもの、との初判断を示しましたが、中国や韓国では戦後は終わっていないのです。

 憲法改定の動きに中国や韓国の指導者の直接の発言はありません。それは内政不干渉の原則を守っているからで、強い警戒心と猜疑(さいぎ)心を抱いているのはもちろんです。

 「過去の戦争への反省が不十分な日本が軍備を強化しようとしているのは心配。他国はともかく日本人が銃を持つのは不安」(中国の新聞編集者)。「軍事力と交戦権を回復した日本は『普通の国』でなく、『普通ではない国』として韓国に脅威を与える」(朝鮮日報社説)

 近隣諸国を納得させられるのか。やはり平和主義はアジア諸国への百年の誓約です。いまだに恩讐(おんしゅう)を超えるには至っていません。

 不完全な人間への自覚
 作家の吉行淳之介氏は「戦中少数派の発言」で、戦争に鼓舞される生理をもつ圧倒的多数の存在を語りました。

 戦争への感情爆発と陶酔の病理について、「昭和史」の半藤一利氏は日本人の腹の底の攘夷(じょうい)の発露とし、精神分析岸田秀氏もペリー来航のショックと屈辱的開国が引き起こした日本の人格分裂で説明しています。

 理性や合理ではなく、その場の空気に支配される日本人の病理を研究したのは評論家の山本七平氏ですがいずれも自己の直視を忘れたわれわれの弱さや未熟さの指摘です。

 憲法にこめられた立憲主義戦争放棄は、不完全な人間への自覚からの権力やわれわれ人間自身への拘束規定でしょう。その知恵を尊重したいものです。

実際は「私は靖国派です」という人物を知らない。「靖国神社を参拝して気合を入れてきました」という若者ならそこらじゅうにいる。若者にとって聖地メッカのような効果があるのだろうか。日本は天皇を中心にした美しい国であり、その天皇を中心にした長い歴史を誇りに感じているようだ。
靖国派と言われている政治家が力を発揮し始めてからネオリベラリズムに人の心も染まっていったのだろうか。
しんぶんでは日本の侵略戦争を「正しい戦争」だと宣伝している勢力を”靖国派”と呼んでいる。 「”靖国派は”靖国史観”を国論にしようという途方もない計画のシナリオをもっており、首相の靖国参拝を通じて、衆参両院議長、最高裁長官をあわせた三権の長に参拝させ、さらには天皇まで参拝させて、一大国家行事にしようとしていた」としている。
教科書が右傾化するばかりのこの8年間、ついに昨年12月に教育基本法が変わり、生徒指導体制(全校集会の仕切り方、停学の基準など)の雰囲気も抑圧的になっている。企業のための器械を生み出す場所?
学校は人間の自由を追求するための学問の素晴らしさを味わえる場所であってほしいわ。