小田実さん

http://www.odamakoto.com/jp/index.html

告別式 2007年8月4日(土) 午後1時〜3時
会場  東京・青山葬儀場 
主催  小田実氏葬儀委員会(葬儀委員長、鶴見俊輔さん)

葬儀の後には斎場から地下鉄「青山1丁目」駅付近まで、追悼行進などもあるそうです。ご冥福を祈ります。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/maishou/news/20070731kei00s00s007000c.html
作家:小田実さんが死去
 ベトナム戦争(せんそう)に反対(はんたい)する市民(しみん)運動(うんどう)などの先頭(せんとう)に立(た)った作家(さっか)、小田(おだ)実(まこと)さんが7月(がつ)30日(にち)、胃(い)がんのため亡(な)くなりました。75歳(さい)でした。大阪市(おおさかし)生(う)まれ。南(みなみ)アメリカなどを回(まわ)った旅行記(りょこうき)「何(なん)でも見(み)てやろう」(1961年(ねん))がベストセラーに。ベトナム反戦(はんせん)運動(うんどう)を始(はじ)め、ベ平連(へいれん)(ベトナムに平和(へいわ)を!市民(しみん)連合(れんごう))を結成(けっせい)し、代表(だいひょう)になりました。阪神大震災(はんしんだいしんさい)の被災者(ひさいしゃ)を支援(しえん)する活動(かつどう)などもしました。

 1965年にアメリカ軍のベトナム爆撃に反対する哲学者の鶴見俊輔さんらと反戦運動を開始して、ベ平連を結成し、その代表になりました。大規模なデモやワシントン・ポストなどへ意見広告を掲載するなど注目を集めていました。ベ平連は米軍が撤退した後の74年に解散しましたが、湾岸戦争のときには同様の意見広告を出し、また近年では9条の会の呼びかけなど、一貫して反戦の立場を貫いていました。

 1995年1月、西宮市の自宅で阪神大震災に遭いながら、公的支援の法制度を作るために奔走し、1998年「被災者生活再建支援法」成立のための大きな原動力を生みました。