証言

http://www.jca.apc.org/~sensoten/
「平和のための戦争展」は今年も各地で行われました。この催しが始まったのは1980年です。戦争を知らない世代が総人口の半分以上になった当時、在日アメリカ軍の駐留経費の一部を負担する「思いやり予算」が合意されたり、日本史の教科書で「侵略」を「進出」と書き直させるなどの動きが続きました。これに危機感をもった団体と個人が実行委員会を立ち上げて、戦争体験者の話を聞くなどの取り組みを続けています。
 年々減っている戦争の体験者、特に加害者の立場のからの話を聞く機会はごく限られています。
 今年、87歳の小山一郎さんは会場の150人にご自分の体験を証言してくれました。
(以下、証言内容)

◆中国・華北地方で中国人強制連行作戦などにかかわった体験談

 私は徴兵後まもなく作戦に参加しました。軍事訓練の仕上げに、無抵抗な中国の民間人を銃剣で突き殺せと命令されました。アジアの解放のためと言われて戦地に来たのに、なぜこんな残酷な事をと思いながらも私はしだいに“鬼の心”になっていきました。このように残酷な行為に耐えきれない兵士たちは自らの死を選びました。これは抗議のための自殺だったのですが、軍規を乱す不患者として軍では公表されませんでした。
 さらに私は上官の命令で中国人たちを狭い蔵に押し込めたのです。その中国人の半数近くが暑さのために命を落としました。
 当時の日本は台湾、中国、朝鮮半島から人々を拉致・連行し、日本国内の鉱山などで強制労働をさせていました。その人数は朝鮮半島から100万人、中国から4万人とされています。

 会場から「自由な言論が保障されているのに、日本が敗戦した62年前と比べて今の国民はだまされやすくなっているのでは」と質問があがりました。
 「私は国によって人殺しにさせられた。同じ過ちを繰り返してはならないと思っているから、命がある限り私は証言を続けます。」と小山さんは答えていました。

参考:「戦争展ヒストリー」各年ごとのポスターと報告を見ることができます。http://www.jca.apc.org/~sensoten/history.htm