今月のむのたけじさんの言葉

本当に生き地獄みたいなものです。

私たち新聞記者は何をしていたのかと、
今のあなた方に非難されると思います。
生活クラブの新聞「生活と自治」11月号に連載の「むのたけじさんと話したい」第5回から転記

軍も乱暴狼藉を規制
(前回、慰安婦の話が出てきました。なぜ、太平洋戦争に入って、この制度がでてきたのですか。)
 日本の記録にはちっとものぼりませんが、自らの町を自分たちで壊すほどの、中国の日本兵に対する激しい抵抗が太平洋戦争の直前にはもう行われていたわけ。
 そこで当時、教育総監部本部長だった今村均という人が『戦陣訓』を出した。その中に強姦はダメだという命令が盛り込まれた。
 私がジャワ作戦に同行した時、船には何百何千の陸軍の兵隊が乗っていた。そこで配られていたパンフレットには、もしも戦場で強姦行為をしたら、未遂であっても銃殺とありました。
 その後、陸軍の法務官たちから、新聞社の方々の知恵を借りたいと相談を受けた。
 強姦あるいは強姦未遂で8人の兵隊が銃殺。これを兵士の妻や家族に伝えなければならない。陸軍始まって以来のことです。普通は、病死とか、戦死という通知を送るのだけれど、「お前の息子は戦場で強姦をやったから銃殺された」と書いたことはない。このことを一体どう書いたらいいでしょう。
(ああ…。でもそのまま書くことは出来ないから、家族には本当の死因は分からない。そういうことですね。)
はい。でも、このことからも分かるように、私がジャワに赴いた太平洋戦争の始めの頃、日本軍は戦場での敵国の女性に対する侮辱はできるだけやめようとしていた。
まさに生き地獄
 そのかわりに今問題の慰安婦だ。戦場にいる兵隊のセックスの相手をさせる女性たちです。私は記者としてその問題を調べた。だけど、記事にできなかった。だから一度も言ったことがない。
 日本では当時、売春行為が許されていたから、貧しさのために肉体を売る女性を軍が誰かに集めさせて、軍用船で戦場まで運んだんです。それだけでなく朝鮮の人、中国の人がつれてこられていました。
(中略)
 日本の軍隊の中ではちゃんと階級別に慰安婦が分けられていた。将校が日本の女性、それ以下は朝鮮や中国の女性というように。
 
()
唯一、生を感じるときは
()
…転記作業中です。ちょっと休憩…