内橋克人の単行本「悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環 」

奥付を見ると

2006年10月15日 第1刷
2006年11月25日 第4刷
ほんの40日間で第4刷というのには驚いた

どんな人が読んでいるのでしょう?

文藝春秋を版元にしたのは、危機感を共有し、実際の調査を共同で行ったメディアの一つであるという理由であるそうだ。

以下、内容抜粋します。

プロローグ:2006年に入って、新聞、テレビなどの各マスコミや書籍などで、「格差社会」の現状について、さまざまな報道がなされるようになりました。しかし、そのほとんどの報道、書籍が、現状を報告するだけのものです。
 むろん現状を報告することにも意味はあります。しかし、人間は繰り返し「現実」を見せられると、その「現実」が所与のもの、つまり変えようのないものとして受容していってしまうのです。
 はたしてそうでしょうか。
「現実」は変えられるのです。
 まず、どうして今日のような社会の姿になっていったかは「しかたがなかった」というよなものではありません。1970年以降に、あなたの気づかないうちにさまざまな政策の変更がなされていったのです。その結果としての「現実」なのです。
 この本では、こうした「格差」がいったいどこから来たものなのかを、わかりやすく説明します。
 …ナチスの迫害を逃れた家系に生まれたその経済学者の思想が、やがてアメリカの政権の中枢部に達し、70年代の後半からアメリカでその実験が始まります。(略)
 やがて日本にも80年代後半にそれはやってきます。「内需拡大」「内外価格差是正」「規制緩和」「努力が報われる社会」「構造改革」……そのときどきにキャッチフレーズを変えながら、それはやってきたのです。多くの人々がその政策変更の本当に意味するところを知らないままに、政策は変更されていったのです。
 そうした政策の変更がたやすくできるようなしかけも、選挙制度に組み入れられます。
(略)
 アメリカ、南米、アジア、欧州、そして日本、1960年から起こったこの変化の波を俯瞰していくことで、私は、大きな仮説を確信するにいたりました。
ネオリベラリズム新自由主義)循環」あるいは「市場原理主義の循環運動」とでもいえるものです。
 (略)「ネオリベラリズム・サイクル」の世界的な循環のなかで今日の日本の混乱と二極分化をとらえると、いろいろなことがわかってくるのです。
 この本はそうした議論もふまえ、このうねりがいったいどこに向うのかまで、深く考えてみようとするものです。

第2章 なぜ、私たちはルール変更を受け入れたのか
・「規制緩和」を戦後の官僚支配を打破する特効薬と錯覚した。
・学者をメンバーに入れた一見中立に見える政府の審議会、あるいは首相の私的(!)諮問委員会の口あたりのいいキャッチフレーズにまどわされた。
・これら審議会の意見を大きくアナウンスした大マスコミの存在。
・「小選挙区制の導入」

第7章 戦争との親和性
フリードマンの原則」「資本主義経済の教材のレッスン・ワン」
米軍は水を持って行き、富裕層に飲料水を無料で与え「これをいま水に困っている、のどが渇いている住民たちに売りなさい。お金を取って売りなさい」と言った。(略)
米軍はイスラムの戒律に反する不労所得を覚えさせた。(略)
 市場経済の側面から見れば、イスラム圏の市場化こそがイラク戦争の目的であったという意見は、この戦争の本質を突いていると私も感じます。

第8章 人間が市場を
 はっきり言えることは「人間を市場に合わせる」のではなく、「市場を人間に合わせて調律する」ことをしていかなければならないということです。
 規制とは、そのためにおこなうものです。

以上、抜粋してみました。
最終章にはフィンランドの成功例が詳しくあります。
後日再読したときに書き足すかも?

「人間に合わせて調律する」って内橋克人はさすがだゎ♪