天声人語

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夏ごろの小欄で、作家として立つ前の吉川英治が川柳に親しんでいたと書いた。雉子郎(きじろう)というその号は、新聞に載った〈桂庵(けいあん)に踏倒さるる頬(ほお)の痩(こ)け〉の一句で川柳界に知られるようになった(『川柳の群像』集英社
桂庵とは、職業仲介所の俗称である。ピンハネでもされたのか、恨みつらみが十七文字にこもる。吉川は家計を助けるために年齢をごまかし、20を超す仕事を転々とした。のちの国民的作家も当時は貧しく、弁当を持って行けない日があった
現代の桂庵も、そう変わらないらしい。違法派遣を繰り返した日雇い派遣大手グッドウィルが、国から事業停止命令を受けることになった。全事業所が年明けから数カ月の停止になる見通しだ。1日3万人という派遣スタッフに収入途絶の不安が広がっている
おととい、低収入に悩む若者向けの「年越し電話相談会」が東京であった。NPOなどが主催し、85件が寄せられた。日雇いに関するものも多く、内容は悲鳴に近かったという
日々雇われ、日々失業しているような疎外感は、心をなえさせる。雇い主からの突然のキャンセルも頻発している。「都合しだいで引っ張り出したり、留め置いたり」と、NPOの代表は、倉庫の在庫のような扱いを憤る。合法的でも、日雇い派遣そのものに反対する声が高まっている
「桂庵口」という古い言葉がある。仲人口に似て、仲介者の言は信用ならないという意味だ。仕事と人との、確かな縁結びを任せられる桂庵なしには、若者の希望は痩(こ)けていくばかりだ。