メモ

3月号の「世界」に『なぜ調査捕鯨論争は繰り返されるのか』という(東北大学東北アジア研究センター准教授、石井敦の)検証論文があります。

http://www.iwanami.co.jp/sekai/
日本の悲願は果たして「商業捕鯨一時停止(いわゆるモラトリアム)の解除」なのだろうか。そうだとすると、日本政府のIWC国際捕鯨委員会)などでの国際的な振舞いにはおかしなところが多い。日本は何を目的として、反捕鯨運動をあおり、国際的評価のまったくない「調査捕鯨」で日本の科学的信用を失墜させてまで、国際法違反である可能性のある調査捕鯨を続けるのだろうか。
 捕鯨についての国際会議へのオブザーバー参加も多い筆者が日本の捕鯨外交を多角的に分析、批判する渾身の論考。

 (以下一部を引用)
 無論、グリーンピースエスペランサ号は救助義務に関する国際的なルールに従って救助を申し出ており、(日新丸を)「あざ笑って」いたのではない。実はこの伏線として水産庁は執拗にグリーンピースをテロリストとして仕立て上げようとした。こうした水産庁の一連の動きに対しグリーンピースは日本弁護士連合会に人権救済申し立てを行っているが、ここでさらに問われなければならないのは、どうして水産庁がこれほどまでに有名無実な「敵」を必要としているのか、である。
 この問いに答えるためには水産庁捕鯨班)や日本鯨類研究所、日本捕鯨協会(以下、これらを「捕鯨サークル」と呼称)がそもそもどのような目的を持って国内外で捕鯨問題に対処してきているのか、という淵源にまでさかのぼって明らかにしなければならない。日本の悲願である「商業捕鯨一時停止(いわゆる「モラトリアム」)の解除」に決まっている、という声が聞こえてきそうだが、そうとは限らない。

■日本の調査捕鯨の経緯

 日本では長らく、捕鯨問題は文化の対立であるという水産庁の問題設定が支配的であり、それをなぞった情報が氾濫しているため、日本の捕鯨議論は事実認識の正誤すら判定できない思考停止状態に陥っている。例えば、昨年12月のザトウクジラ補殺をめぐるマスコミ報道では、ここ10年来すでに説明力を失っている反捕鯨捕鯨推進の対立構図が踏襲されただけに終わった。そもそも米国はすでに反捕鯨国ではなく、科学的管理に則った沿岸捕鯨南極海調査捕鯨のように公海ではなく、主に陸上の捕鯨基地の近海で行う捕鯨)を容認する国々も現れてきているのが実態なのである。ここで問われるべきだったのは、日本がザトウクジラを調査捕鯨のために補殺する必要が本当にあったのか、である。

 国際捕鯨取締条約(以下、捕鯨条約)第8条に基づく調査捕鯨は1970年代以前にも行われていたが、現在の調査捕鯨の発端はまぎれもなく1982年のモラトリアム採択である。
 その採択直後、日本はすぐに捕鯨条約で認められている異議申し立てを行ったが、実はこの時、日本政府や国会議員、水産業界にすら、捕鯨産業を「安楽死」させても致し方ないとする雰囲気があった(朝日新聞1984年11月28日朝刊3面)。これと、米国の排他的経済水域における日本の漁業利益(当時、この漁業利益は金額にして捕鯨産業の10倍もの規模であった)と異議申し立て撤回を天秤にかけた米国からの働きかけとあいまって、撤回は時間の問題であった。
 そこで、水産庁はこの事態を打開すべく1984年に「捕鯨問題検討会」という審議会を立ち上げ、そこに南氷洋商業捕鯨を調査捕鯨に切り替えることを答申させた上で、1987年に南極海鯨類捕獲調査計画 (JARPA)を開始したのである。その後、1994年には北西太平洋鯨類捕獲調査計画(JARPN)を開始し、現在は第二期に入っている。
 調査捕鯨の運営は、日本鯨類研究所水産庁から研究委託を受け、調査捕鯨のためにつくられた共同船舶(日新丸をはじめとする調査捕鯨船保有している)という株式会社とともに調査にあたるという形をとっている。財源は約5億円が国庫補助であり、残りは鯨肉の売り上げ(共同船舶が独占的に卸業務)で賄われている。

■調査捕鯨は科学か?

 調査捕鯨に対する批判の一つに、「科学の名を借りた商業捕鯨」という常套句があるが、これは魚食文化を否定する単なる感情的な批判などではなく、根拠を伴ったものとなっている。JARPAの立案に関わった粕谷俊雄氏は以下のように述懐している。
「私は80年代に水産庁に在籍し、調査捕鯨の立案にかかわった。その際、我々に与えられた条件は『経費をまかなえる頭数を捕鯨でき、しかも短期では終わらない調査内容の策定』だった。今では、法の網をくぐるような調査捕鯨の発足に手を貸したのは、うかつだったと悔やんでいる」(毎日新聞2005年10月3日朝刊3面)
 つまり、当初から調査捕鯨の立案に水産庁が政治的介入を行い、その結果、JAPRAでは18年という長い研究期間が設定された。現在、漁業資源管理を専門とする学者の間では調査捕鯨に疑義を表明することはタブーであると聞く。IWCの科学委員会に出席している日本の科学者も日本政府に反する立場をとったことがほとんどないことを考えても、現在も捕鯨問題に関わる科学者の独立性は確保されていないと見るべきであろう。さらに粕谷氏の述懐から分かることは、鯨を補殺し、それで得た鯨肉の売り上げがなければ、調査を継続することはできないということである。今まで国庫補助の金額が横ばいである一方で、調査の規模が大きくなっていることを考えれば、これは現在も当てはまる。
  
 ある活動が科学とみなせるかどうかの判断基準の一つとして、政党や行政、企業の営利活動からの独立性が挙げられるが、これを満たしていないのが日本の調査捕鯨なのである。

(つづきがあります、、最後は国庫支出が積み重なるという話でした。)